東京で味わう本場ペルー料理
夏もとうとう終わりに……。この夏休み、皆さまはどのように過ごされましたでしょうか?
私は、記者時代に未踏だった南米アルゼンチンとペルーに出掛けた。目的は、アルゼンチンでは本場のタンゴ観賞、ペルーは世界遺産にも登録されている空中都市、マチュピチュを歩くこと。飛行機を乗り継ぎ、日本から片道1日以上かかる旅である。
未知の国の文化を知るには、まず食から。出発前に“予習”を兼ねて訪ねたのが、東京・銀座のお隣り、ビジネスマンでにぎわう新橋にあるペルー料理専門店だった。
新橋の柳通りをしばらく歩くと、バナナの葉やらサボテンやらの南国の緑に囲まれた、ちょっと変わった入り口が目に付く。「荒井商店」という食べ物屋さんらしくない名前の店。若き店主、荒井隆宏さんは、フレンチの名店で修業後、ペルーの大自然にほれ込み、夫婦で1年間ほど滞在しながら地元の料理を学んだという。
ちょっと遅い平日のランチタイムにお邪魔したら、お目当てのペルー料理は売り切れ。マダムに事情を話したところ、特別にペルー名物を作っていただけることになった。
それがこの「ロモ・サルタード」。細切りの牛肉をタマネギやトマト、かりっと揚げたジャガイモなどと一緒に炒めた一品。ニンニクを効かせたしょうゆ味で、ライスも添えられていてとっても食べやすい。黄色味が強いアヒと呼ばれるトウガラシも辛すぎず、良いアクセントになっている。
「ペルーは素晴らしいですよ。食文化のフュージョンを楽しんできてください。それから、日本では手に入らない食材もあるから、挑戦してね」と、マダムは言った。
移民がもたらした多彩な味
マダムが示唆していた「食文化のフュージョン」は、ペルー最初の訪問地、インカ帝国の首都があったクスコでまもなくわかった。
地元のたいていのレストランには、野菜が山盛りになったサラダバーがあった。
クスコのある中央アンデスは、いま私たちが日常的に食べている多くの作物の原産地。ジャガイモやトマト、トウモロコシ、ピーナッツなど、サラダバーに並ぶ野菜や穀物は、インカ時代から栽培されているものが少なくない。
ジャガイモの種類は1000以上あるともいわれるが、マチュピチュ遺跡などで見られる急斜面と標高差を利用した段々畑(アンデネス)で、約500年前のインカ時代から作られている。
段々畑は太陽の昇る東向きに造られており、日中に太陽の熱で石が温まり、夜間も熱がこもって温室のような機能を果たしたらしい。インカの人々は、標高の高い寒冷地でジャガイモや雑穀のキヌアを、標高の低い温暖な場所では野菜や果物を、中くらいのところではトウモロコシや豆類を栽培していたという。
サラダバーでは、こうしたインカ時代からの伝統野菜に混じって、ボウルに刻みネギが入っているのが気になった。まるで盛りそばを食べるときのような、長ネギの輪切りである。これにドレッシングやヨーグルトなどをかけてサラダとして食べるのだそうだ。
「Makis」と呼ばれる野菜を具にした太巻きもよく見かけたが、これなどは明らかに日系人の影響だろう。先に紹介した「ロモ・サルタード」や、しょうゆ風味の焼きそば「タジャリン・サルタード」は、中国系がもたらしたといわれている。
また、ペルーの名物料理、白身魚やイカ、タコなど魚介類と紫タマネギをレモン汁と香辛料で和えた「セビッチェ」や、川エビをトマトソースで煮込んだ「チュッペ・デ・カマロネス」も、土着のインディオと植民者となったスペイン、それに中国や日本などアジア移民のスタイルが少しずつ混じりあった料理と説明されている
500年という時が作り出したフュージョン料理の文化は、変化に富んでいて、大自然とともに旅人を十分に魅惑して止まない。
次回は、ペルーで挑戦した食材や飲み物についてお伝えしよう。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)
荒井商店
東京都港区新橋5-32-4 江成ビル1階
電話03-3432-0368