高級店が並ぶ「発祥の地」
江戸城の改築を終えた徳川家康は、1612年(慶長17年)、最初伏見と駿府に置かれていた幕府直轄の銀貨の鋳造所「銀座」をこの地に移した。現在の東京・銀座2丁目、中央通りの宝石店「ティファニー本店」のあたり。歩道の植え込みには、「銀座発祥の地の碑」が立っている。
幕府の貨幣改鋳政策に支えられて、銀貨づくりを請け負った御用商人の懐は随分と潤ったらしい。
明治初めの造幣局の設置で「銀座」は廃止されたけれども、地名としては残り、その後、高級店が並ぶ日本有数の繁華街として発展する。
「花の銀座」は、昔も今も、多くの人々にとって、文化の香るおしゃれな街……。そんなことから、おらが街の商店街を「銀座」と呼び、全国各地に「○○銀座」が続々と誕生した。
中でも、全国「○○銀座」の元祖といわれるのは、東京・品川区の「戸越銀座」。
「戸越」という地名は、江戸を越えた土地を意味する「江戸越え」に由来するらしい。1923年(大正12年)の関東大震災で被災した本家の銀座から、当時ガス灯用に使われていた耐火レンガの白レンガを譲り受け、水はけの悪かった戸越の大通り等に再利用したのだとか。
その縁で、日本で初めて本家以外で「銀座」を名乗る街として知られるようになったという。
仙台で一番古くて、あったかい通り
現在日本には数多くの「銀座」が誕生しており、「地名コレクション」なるWEBサイトには、「銀座」が既に300か所以上登録されていた。
というわけで、仙台に出掛けた7月の週末、さっそく探してみました、「仙台銀座」。
仙台駅前から南町通りを西に歩いて5~6分。ビルが立ち並ぶ表通りの裏道を一歩入ると、昭和の映画セットを思い起こさせるような路地があった。天空に交差する電線の向こうに、「仙台銀座」のレトロな赤文字が浮かぶ。20数店の飲食店が軒を連ねる懐かしい横丁である。
焼鳥、ホルモン、立ち飲みバー、おばんざい、もんじゃ焼き、おでん、中華にフレンチ、洋菓子も。雀荘、散髪屋、名札専門店など何でもあって、縁日の屋台のようだ。
聞けば、この一角は、1945年(昭和20年)の空襲で焼け野原になり、戦後まもなく木造モルタルの市場が速成され、洋裁店や模型店などが入り、たいそうにぎわったそうな。しかし、昭和27年の大火で全焼し、以後、今のような飲食店中心の通りになった。
地元には根強いファンが多く、朝市で魚を売るおばちゃんが、「仙台で一番古くて、あったかい通り」と教えてくれた。
昼間はシャッターを下ろしている店が多い中、仙台銀座のはずれに、鮨屋を見つけた。「鮨 仙一」である。
旬のアワビにウニ、ホッキ貝・・・。口の中でとろけるふわふわのアナゴは、塩とタレの両方が味わえて、大満足だった。
もとは仙台駅の反対側にあった名店で、仙台銀座では比較的新顔らしい。「いやあ、ここは歴史を知っているお客さんもいて、楽しいですよ」と、カウンターの向こうで若い職人さんの声も弾んでいた。
「食べログ」和食の全国一位店
その日は松島に泊まり、翌日のランチは塩釜へ。目指すは、「食べログ」という飲食店の口コミ評価サイトで、和食部門の全国一位にランクされたこともある「千松しま」という店。小さな店で、ご主人が一人で厨房を切り盛りしているので、1日数組の完全予約制なのだ。
高台にある住宅街にあって、店構えも地味。探すのにとっても苦労したのです。でも、その甲斐あって、実に丁寧につくられた料理を堪能した。
その内容をご紹介すると――ハスイモにカボチャの汁のジュレ添え、養殖ができないといわれる旬のアカニシ貝の焼き物、小ハゼのヌタ・ホヤ鮨・タイのちまき、揚げ加茂ナスとアワもち団子とタイのお吸い物、ムラサキウニ・タコ・カレイを梅干入りの煎り酒醤油で、山菜づくし、豆乳の滝川豆腐、ハゼの揚げ物とカニの甲羅詰め、青梅・ソラマメ・ジュンサイ・米こうじ団子の甘いお汁、ウナギ山椒のお茶漬け、そしてデザートは、生麩の白あん笹包み。
ホヤが苦手な私でも、新鮮なせいか独特のえぐみが気にならない。ムラサキウニは、ふっくら大きい。四等分に割いたイグサで美しく巻かれたちまきの技に、こちらも背筋がぴんと伸びた。
「主人は手先が器用ではないので、人一倍努力の人なんですよ」と、女将さんの評。
ここでは、予算は1人1万円はみたい。
さて、次はどちらの「銀座」を目指そうか。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)