2009年3月アーカイブ

2009.03.27

「ちょっと前の暮らし」目指す

ファン多い薪で炊くご飯

  • 竹の植え込みに囲まれた「お宿銀座吉水」の入り口

 東京・銀座には、人通りが絶えない大通りから一筋入っただけで、驚くほど静寂な空間が残っている。

 昭和通りから築地方面に一筋入った銀座3丁目、竹の植え込みに囲まれた「お宿吉水」もその一つ。私のお気に入りの場所である。

 名物女将の中川誼美さん(65)が目指すのは、「ちょっと前の日本の暮らし」だ。

 竹張りの床、湿気を吸収する網走産珪藻土の壁、無農薬栽培のイグサを使った畳、100%オーガニックコットンの布団……。日本の自然素材に徹底的にこだわった。最上階にある貸切風呂は木の香りにやさしく包まれ、大都会のビルの中にいることをほとんど忘れさせてくれる。

 全11室。一泊朝食付きで1万600円から。英国の高級紙で、外資系の超高級ホテルと肩を並べて、東京のベストホテル2位に選ばれた。お仕着せでない日本の宿が味わえるとあって口コミで広まり、海外からの滞在客でほぼ部屋が埋まることも少なくない。

  • ウッドストック仕込みのエコロジー実践派、女将の中川誼美さん

 部屋にはテレビも冷蔵庫も電話もない。

 献立は、毎日届く新鮮な無農薬野菜を見てから考える。化学調味料や添加物、防腐剤の入った調味料は一切使わない。宿のスタッフは全員が調理を経験し、からだで自然の恵みの尊さを覚える。

 ベランダで薪をくべて、かまどでふっくらご飯を炊く。豆や野菜の本来の味を生かした中川さん特製のアイデア常備菜メニューは、「簡単ですごくおいしい」と、ファンが多い。

 地下一階のピアノを備えた多目的サロンでは、演奏会や映画の上映会などが開かれ、集う人たちの輪が広がる。

 現在力を入れているのは、日本文化の発信だ。その一つが、毎月第二金曜日に開いている民族文化映像研究所製作の日本の基層文化の記録映画上映会。代表の姫田忠義氏を招いて、昨年4月から始めた。氏が50年近い歳月をかけて記録した全作品119本の上映を目指している。

「ものを大切にする日本の心、自然と共にあった日本人のライフスタイルを見つめなおし、ここではゆったりしたくつろぎの時間を楽しんでほしいのです」と中川さんは語る。

ウッドストックの生活に衝撃

  • テレビも冷蔵庫もないシンプルな部屋

 中川さんが自然なライフスタイルへの強いこだわりをもつようになったのは、大学卒業後の1970年代初め、ヒッピー文化が息づく米国ニューヨーク州のウッドストックに夫婦で暮らした体験がきっかけだった。ベトナム反戦運動が盛り上がり、カウンターカルチャーの集大成とも呼ばれる、あの「ウッドストック・フェスティバル」が開催された地である。

 ブラウンライス、全粒粉で焼いたホットケーキ、無殺菌牛乳……。テレビも冷蔵庫もない、シンプルな暮らし。自ら畑を耕してつくる自然食の生活は衝撃的だった。

 「皆がキリストやマリアみたいでね。髪の毛は伸ばし放題。化粧をする女性なんて、全然いないの。あの時以来、私も化粧しなくなった。綿の布で顔をごしごしこするだけ。おかげ様で、この年になっても肌荒れ一つなく、ツルツルなんですよ」

  • 食材はすべて無農薬のものを厳選

 ユーロパスで欧州を見聞、シベリア鉄道を経由して日本に帰ったときには、1年4か月が過ぎていた。帰国後は、印刷業を営む夫のアシスタントとして経理を担当しながら、ほぼ子育てに専念。「食べることが基本だから、どんなに忙しくてもそれだけは手抜きしませんでした」

 転機が訪れたのは十数年前。子どもたちも成人し、学生時代から寺社を訪ね歩いた大好きな京都に別荘でも、と物件を探していたところ、運命的な出会いがあった。円山公園の満開の桜に囲まれた古宿が、跡継ぎ不在で売りに出ていたのだ。「衝動買いでした」。

 別荘にと思って買った物件だが、公園敷地内にあるため宿泊業にしか使えないことが判明。「ならば、旅館をやってみるかってことに。どうせなら、無駄と思えるサービスは徹底的に省いて、低料金で京都の街を楽しんでもらう場所にしようと思ったんです」。こうして、テレビも冷蔵庫もない、朝食付き一泊6000円(当時)の「オーガニックな宿」が誕生し、一躍人気に。

日本のど真ん中でオーガニックを実践

  • ベランダのかまどでご飯を炊くのも中川さんの役目

 銀座に進出したのは2003年のこと。背中を押してくれたのは、当時80歳の母だった。「オーガニックは都会でも実践しないと説得力がない。日本(のそうしたトレンド)を決めていくのはやはり銀座。いまが底値だから買いなさい」と。

 ちょうどバブルから健全になろうとする時代だった。2か月かけてめぐり合ったのが、現在の場所である。

 「夢をもったらね、我慢、ロマン、そして最後にそろばん、なのよ」

  • 地下のサロンで、集う人々の輪が広がる

 「環境」の世界で名前の知れた中川さんのもとには、「社会のために何かやりたい」「世の中を変革したい」と、相談に来る若者たちが後を絶たない。

 「でもね、私は『運動』は嫌いなの。仕事をしながら何気なく生活を変えていきたい。だから、彼、彼女にも、『あなたの部屋はきれいなの?』『食べることを疎かにしていない?』と問いかけて、『まずは足元からやりなさい』ってアドバイスしています」

 こうした数々の経験を生かし、最近では建築家らと「当たり前の家ネットワーク」を設立、シンプルだけれど豊かな私サイズの「小さなくらし」を唱えている。

 中川さんの静かなる“生活革命”は続いている。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◇お宿吉水のホームページ

 http://yoshimizu.com/index.html

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)